松田太雅の前世はタイプロ!日プ新世界までの経歴/ボイプラ出演の真相を徹底解説
「松田太雅 タイプロ」で検索しているあなたは、タイプロでの彼の経歴が気になっているんじゃないでしょうか。
日プ新世界で爽やかな笑顔とキレのあるダンスを見せている松田太雅さん、実は2024年に開催されたtimelesz project(通称:タイプロ)に約1万9千人の応募者の中から挑戦し、3次審査まで駒を進めた経歴の持ち主です。
「バレーボール会場で初めてtimeleszさんを見て、この夢を抱くことができた」——そう語る松田太雅さんの、アイドルを目指したきっかけからタイプロの結果、そして日プへの挑戦までを一次ソースをもとに徹底解説します。

- 松田太雅の前世・タイプロとはどんな番組で、どこまで勝ち残ったのか
- 3次審査team BLUEセンターとしてのパフォーマンスと、本人が語った「全力を出し切った」発言
- 小学生の頃のSexy Zone体験がアイドル志望のきっかけになった真相(一次ソース確認済み)
- タイプロ落選後、なぜK-POPスタイルの日プ新世界に挑んだのか
ジャンプできる目次
松田太雅の前世はタイプロ!timelesz projectとはどんな番組?
「松田太雅 前世」「松田太雅 タイプロ」で検索している方に向けて、まずタイプロがどんな番組だったかを整理しておきます。
タイプロを知らずに松田太雅さんの経歴を語ることはできないので、ここは丁寧に押さえておきましょう。
タイプロ(timelesz project)とはどんなオーディション?
Sexy Zoneからtimeleszへとグループ名を改め、新体制でスタートした3人(菊池風磨、佐藤勝利、松島聡)が「一緒に夢を追う仲間を探したい」という想いから立ち上げたこのオーディションです。
事務所所属者だけでなく一般応募も受け付けるという異例の形式で大きな話題を呼びました。
審査の流れは1次〜6次まで設けられており、3次審査では2次を通過した36名が4チーム(RED・BLUE・GREEN・YELLOW)に分かれてグループパフォーマンスに挑戦。チームワークとしての完成度ではなく、あくまで個人評価として審査されるという、精神的にもタフな形式でした。

松田太雅はタイプロで何次審査まで進んだ?
松田太雅さんは、タイプロの3次審査(合宿審査)まで進出。team BLUEのセンターとして参加し、暫定順位14位で戦いましたが、4次審査には進めず脱落しています。
応募総数18,922件(Yahoo!ニュース)の中から2次審査を突破し、36名に残ること自体がすでに上位数%の話。
3次審査のteam BLUEは、佐藤勝利さんから「こんな曇ったSHAKEは見たことない」と酷評を受けるほどチームとして苦戦したグループ。
課題曲はSMAP『SHAKE』で、チームとしての一体感を出すことに課題を抱えながらも、松田太雅さんは本番後にこう語っています。
「いろんなことがあったけど、本番前もみんなで声かけ合って……今の自分のパフォーマンスはできたかなと思ってます。全力出し切れました」(引用:タイプロ公式YouTube Behind The AUDITION ep.03)
チームが「暗い」と言われても腐らず、仲間と声をかけ合って本番に臨む。
この姿勢は、バレーボールで10年間チームスポーツを続けてきた太雅くんらしさが出ていますよね!

松田太雅がアイドルを目指したきっかけは?Sexy Zoneとの運命の出会い
タイプロの経歴を語るうえで外せないのが、松田太雅さんがそもそもなぜアイドルを目指したのか、という話です。
その原点は、小学生時代のある体験にさかのぼります。
バレーボール会場で見たSexy Zoneのパフォーマンス
松田太雅さんがアイドルを志したきっかけは、小学生の頃にバレーボール会場でSexy Zone(現timelesz)のパフォーマンスを生で見たこと。本人がタイプロの一問一答でその体験を直接語っています。
タイプロ3次審査の一問一答動画(公式YouTube)の中で、松田太雅さんはtimeleszについてこう語っています。
「僕がバレーボール会場で初めて『Cha-Cha-Chaチャンピオン』を生で見させていただいて、その時にこの夢を抱くことができたので、僕にとって今の全てというか、僕の人生の全てがtimeleszさんだなと思います」(引用:タイプロ3次審査一問一答・公式YouTube)
Sexy Zoneは2015年、ワールドカップバレーの公式ナビゲーターに就任しており、大会会場でのパフォーマンスが複数回行われていました。
バレーボールを10年間続けていた松田さんにとって、試合観戦の場でアイドルの輝きと突然出会うという、まるで漫画のような体験だったわけです。
さらに意気込みコメントでは、こうも続けています。
「本当に小学校の頃に初めて見て、そこからこの夢に向かって頑張れたのは、timeleszさんがいたからなのは本当に間違いないので」
(引用:タイプロ3次審査一問一答・公式YouTube)
このエピソード、ネット上では「2次審査で語った」と紹介されることがありますが、一次ソースを確認すると正しくは3次審査の一問一答動画での発言です。

タイプロへの挑戦は「命がけ」だった
松田太雅さんは3次審査の自己紹介動画で「このオーディションに命をかけて頑張りたい」と宣言。チャームポイントとして「普段とステージでのギャップ」を挙げています。
自己紹介動画(公式YouTube)では、こう語っています。
「アーティストを夢見て精一杯頑張ってきたので、このオーディションに命をかけて頑張りたいと思っています」(引用:タイプロ3次審査自己紹介・公式YouTube)
専門学校卒業後、カフェ店員として働きながらもアーティストへの夢を諦めきれなかった松田さんにとって、タイプロは「今の全てをかけた挑戦」だったことがよくわかります。

松田太雅はなぜ日プ新世界へ?ボイプラ・タイプロ落選後の軌跡
タイプロで「命をかけた」挑戦が3次審査で終わった後、松田太雅さんはどう動いたのでしょうか。
J-POPスタイルのオーディションで夢破れた彼が、なぜK-POPスタイルの日プ新世界に挑んだのか。その流れを整理します。
タイプロ落選後、松田太雅は何をしていた?
タイプロ3次審査脱落(2024年)から日プ新世界参加(2026年3月)まで、公式に確認できる活動情報は現時点では限られています。ただし、夢を諦めることなくアーティストへの道を模索し続けていたことは確かです。
タイプロ参加時の職業はカフェ店員。
Yahoo!ニュースに掲載された候補生リストでも「松田太雅(20)カフェ店員」と明記されています。
応募総数18,922件の中から2次審査を突破し、さらに3次審査ではteam BLUEのセンターポジションを任されていたことも注目ポイントです。
高校時代のバレーボール経歴や日本工学院専門学校への進学については、松田太雅の学歴まとめ記事で詳しく解説しています。
タイプロ脱落後の松田太雅さんについて、脱落後の具体的な活動については現時点で公式確認できる情報は多くありません。
わかっていることは、タイプロで脱落した後もInstagramでの発信を続け、アーティストとしての意識を保ち続けていたこと。
そして2026年3月、PRODUCE 101 JAPAN 新世界の練習生として名前が公開された際、タイプロファンから「待望のリベンジ!」と歓喜の声が上がりました。
約1〜2年の間、公の場から離れながらも夢を手放さなかったのです。
その事実だけで、十分すぎるほど伝わるものがありますよね!
松田太雅はボイプラに出ていた?
「松田太雅 ボイプラ」で検索している方が一定数いますが、Boys Planet(ボイプラ)への出演を裏付ける公式発表や一次ソースは現時点では確認できていません。
タイプロへの挑戦が広く知られていることから、「他のオーディションにも出ていたのでは?」という連想で検索されているものと思われます。
また、K-POPスタイルのオーディションである日プ新世界に参加していることも、ボイプラとの関連を想像させる要因になっているのかもしれません。
現時点ではボイプラ出演の事実は確認できていないため、新たな公式情報が出た場合はこの記事でも随時更新していきます!

J-POPからK-POPスタイルへ、なぜ日プを選んだ?
「Sexy Zoneが人生の全て」と語るほどJ-POPアイドル文化への愛が深い松田太雅さんが、なぜK-POPスタイルの日プ新世界を選んだのか。その答えは日プの1分PR動画の中にあります。
実は松田太雅さん、日プの1分PR動画の中で「昔からK-POPが好き。イントロドンなら誰にも負けません」とはっきり語っています。
つまり、timeleszへの深いリスペクトと同時に、K-POPのハイレベルなパフォーマンスへの憧れも持ち続けていたということ。
タイプロが「大好きなtimeleszへの恩返し」だとすれば、日プ新世界は「K-POPへの本気の挑戦」という、別のベクトルの夢だったのかもしれません!

日プ新世界での松田太雅の現在は?
2026年3月26日からLeminoで配信開始された日プ新世界に、M.TAIGAの名で参加。タイプロファンからの期待票も上乗せしながら、デビューをかけた戦いに挑んでいます。
日プ新世界の公式プロフィールでは、キーワードに「星」を掲げた松田太雅さん。
グループバトルでは「Wanna One ♪Energetic」「新世界(SHINSEKAI)」の推しカメラ動画が公開されており、タイプロ時代からさらに磨き上げられたパフォーマンスを確認できます。
タイプロで「3次審査14位」という結果を経験し、悔しさと向き合い続けた2年間。
その重みがステージに乗っているからこそ、見る人の胸に刺さるパフォーマンスが生まれているんだと思います。

松田太雅の経歴を年表で整理!タイプロから日プ新世界まで
ここまでの内容を踏まえて、松田太雅さんの経歴を時系列で整理しておきましょう!
複数のオーディションを経てきた彼の軌跡を俯瞰すると、アイドルへの本気度があらためて伝わってきます。
松田太雅の経歴年表
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2015年頃(小学生) | ワールドカップバレー会場でSexy Zoneの「Cha-Cha-Chaチャンピオン」を生で観てアイドルを志す |
| 〜2022年3月頃 | 愛知県内の高校を卒業(高校名は非公表)。10年間のバレーボール経験を持つ |
| 2022年4月〜2024年3月 | 日本工学院専門学校ダンスパフォーマンス科に入学・卒業 |
| 2024年 | カフェ店員として働きながらtimelesz project(タイプロ)に挑戦。応募総数18,922件の中から3次審査(team BLUEセンター・暫定14位)まで進出するも4次審査で脱落 |
| 2026年3月26日〜 | PRODUCE 101 JAPAN 新世界(日プ新世界)にM.TAIGAとして参加。Leminoにて配信開始 |
バレーボールを通じてアイドルと出会い、専門学校でダンスを磨き、タイプロで初めて全国規模のオーディションに挑戦。
その流れを改めて見ると、松田太雅さんの「夢への道」がいかにまっすぐだったかがわかります。

経歴から見える松田太雅という人物
バレーボール×ダンス×オーディション経験という異色の掛け合わせが、松田太雅さんのパフォーマーとしての土台を作っています。
10年間のバレーボールで培われた体幹・ジャンプ力・チームワーク、専門学校で磨いたダンスの基礎、そしてタイプロという大舞台での本番経験。
この三つが重なっているのが松田太雅さんの強みで、「スタイルが良くてダンスに癖がない」という評価の背景には、こうした経歴の厚みがあります。
タイプロの一問一答で「命をかけて」と言い切り、3次審査後には「全力出し切れた」と語った松田さん。
勝っても負けても自分のパフォーマンスと向き合い続けるその姿勢は、日プ新世界のステージでも変わらず生きています(*´艸`*)
記事のまとめ
松田太雅の前世はタイプロ!ボイプラ落選から日プ新世界までの経歴ついてまとめてきました。
- 前世はtimelesz project(タイプロ)。応募総数18,922件から3次審査まで勝ち残り、team BLUEのセンターを務めた
- アイドルを目指したきっかけは小学生の頃にバレーボール会場でSexy Zoneを見たこと(本人が一問一答で証言)
- 「timeleszさんが僕の人生の全て」という言葉が示す通り、J-POPアイドル文化への深いリスペクトが原点にある
- タイプロ脱落後も夢を諦めず、約2年後に日プ新世界への参加を果たした
- バレーボール・専門学校・タイプロという三つの経験が重なり、現在のパフォーマンスの土台になっている
タイプロで一度夢破れながらも、「命をかけた」挑戦の記憶を胸に日プ新世界へ戻ってきた松田太雅さん。
その経歴を知ってステージを見ると、きっとまた違う景色が見えるはずです♥
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